2021-07-17

草生栽培 その1

雨の日の外作業は久しぶりの草抜き。

この畑は温州の「いしじ」の成木園で
2反強ほどの広さになるが
実を言うと今年一回も草刈りをしていない。
もちろん、必要がないからしていない。
ささやかな自己満がささやかな自慢となる。
草刈りは手に負えない時の最終手段にしている。
ジベレリンの異常活性で草も暴れるからである。

四六時中草抜きをやっているわけではなく
春に1日、今回の1日である。

以前にも書いたが
何でもかんでもそのままにしておくと
収拾がつかなくなりエライことになるので
厄介な草だけ数種類に退場してもらっている。

なんとなく草抜きのコツがつかめてきた。
種がついていたら当然手遅れ感があるが
その手前だとまだ大丈夫である。

春の柔らかい草が地表を覆っているため
草の基部のあたりは蛇行している事が多い。
片方の手で見えている部分をつかみ、
もう片方の手で茎を伝って根元へ向け
見えない地際を素手で探っていく。
手袋をつけると雑になる。優しくなれない。

指さきに意識を集めて優しくゆっくり、
見えないところをまさぐっていく。
大地と大気の間の、湿り気を帯びた僅かな層。
ときおり粘性の濃いところに遭遇する。
たいていはミミズである。
体温を感じれるよう、さらに感覚を研ぐ。
生命と、その営みを感じる。
それからおもむろに、
根元からそっと草を抜く。
何かの儀式のように..

必ず根を抜くようにする。
折れたら掘ってでも抜く。
抜いてもそこらへんにポイポイと捨てない。
抜かれても植物体内に残るエネルギーで
なんとか子孫を残そうと種をつけるからである。
花や蕾が見えているようだとヌンチャク(死語..)を
たたむようにポキポキと短く折っていく。
この時、花や蕾はできるだけむしっておく。
抜いた草の根っこは絶対に地面につけない。
少しでも触れていれば必ず復活する。

最初は一面のナギナタガヤによる草生栽培を
目論んでトライしてみたがじきに諦めた。
結局その場所に生えている四季折々の草達に
任せての草生栽培に落ち着いた先人がいた。
もしも単一の種を人為的に撒く場合、
ほろ苦い経験則から播種量においては
記載の3〜4倍が妥当のような気がする。

強い思いが思想に変わるとほとんどの場合は
ロクなことにならなので、我が果樹園では
特定のこだわりは持たないようにしている。
実際の栽培方法はそのまんまだったりするが..
レイチェル・カーソンも書庫には置いてない。

果樹園に下草を生やすメリット及び
デメリットについては全般的な情報が
色々とオープンソースに出ているため、
極私的に思う事を記してみる。

1.子供を遊ばせる時や客人が来訪した時に
 除草剤でカラッカラの裸地では気が滅入るし
 子供にとっては虫がいないので面白くないだろう。
 いや、作業に入る自分たちも萎える。
 果樹園で横になれるのは有難い。
2.仮に政権交代などでの突然の法改正等により(まさか..)
 グリホサート系の除草剤が使用禁止となった場合、
 除草剤散布が常日頃の農家さんはどう対処するのか?
3.夏の草刈りはシンドイ。除草剤散布だってシンドイはず。
 よって草抜き。
4.草を生かしたほうがどうやら美味しい果実になる、
 という情報がちらほらと出始めている。
 慣行栽培の方達でさえ口にしている。
5.圧倒的な草の中から悪草を見つけるのが上手になり、
 僕に欠けている観察眼が少なからず向上する..はず。
 
ざっとこんなところか。

瀬戸内海を目の前にする、景色の良いこの畑は
果樹園をやってみようとした最初のきっかけであり
先日縁あって購入させていただくことができた、
「ぼくたちの畑」である。愛着は最上位。
除草剤はおろか、草刈りの必要もない畑!!
梅雨が明け草の最盛期がくるなか、
いよいよ現実となりそうな気配である。