2024-07-16

タガを外す。(栽培方法の転換報告です。)

まったくの素人から農業に飛び込んで6年
右に左に試行錯誤は紆余曲折しかなかったが
ようやく自分たちの道が見えてきたような気がする。
思想的なものが薄い自らを縛っていたのは
有機栽培(自然栽培含む)vs慣行栽培という
白か黒かしかないような単純な二項対立だった。

“無農薬”や”化学肥料不使用”などというどこか曖昧な
言葉を商品説明に入れるたびに何かが引っかかり
模範的な栽培手法とまったく同じように栽培しても
結果は違いほとんどの場合収量が上がらないという
悲しい現実に毎年呆然としたものだ。

炭水化物の補給で散布する食用酢も特定農薬であり
何トンクラスの膨大な量の堆肥や未熟有機物の投入は
せいぜい何十キロの化成肥料と比べて環境への負荷は
窒素分だけを考えても比では無いと思われる。
極めて稀に例えば自然栽培で成功しておられる方がおられるが
長い年月に渡るその御苦労と忍耐は驚嘆しかないし、
そこまでやってようやく胸を張れるのではないだろうか。

そもそも分断と混乱の時代にこんな単純な二項の対立軸で
温暖→高温+多雨の日本の農業を明確に分ける必要性が

いったいどこにあるのだろうか?
似ている図式だと感じるのはエネルギー産業で
原子力発電の全否定とほとんどの場合セットになっている
再生可能エネルギー万能説から美しい自然遺産である知床や
五島列島に太陽光バネルを敷き詰めることは果たして
環境破壊につながらないのだろうか?
などと逃げを打つぐらい私には強靭な意志がない。

そんな折に出会ったのが古い栽培教科書である。
文学ではまず古典を読めというのが定説だが
果たして啓示のように光がさしたのである。
一番古い本で昭和20年。レベル高すぎ..


植物の成長期と生殖期を人間の一生の変化のように
目で見て感じながらその時必要な要素を供給する
という当たり前のことが基本になっているのだが
私にとって特に意識させられたのは微量要素である。

葉っぱに現れるそれぞれの要素欠乏の見分け方などまるで

気にしていなかったがこれでは話にならない。

自分のそれぞれの園地のpH値やEC値などまるで

気にも止めていなかったがこれでは話にならない。
加えて適切な処方により実は栄養周期理論の方から
無農薬の実現への可能性が垣間見えている。

曲がりなりにも学者の息子である。

オツムはあれだがたとえ自然相手だとしても

可能な限り論理的かつ根拠ある栽培でありたい。

どちらにせよあくまで「美味しい果実」
という最上位の目的の為であって「収量」が最上位でもないし
系統出荷のように「見た目」が最上位でもない。
よって園地は相変わらず草で覆われているし
花から果実がなり始めたタイミングで肥料と防除の散布の
内容物は打って変わって有機JAS基準となっている。

結果はすぐにアボカドで発現した。
柑橘はもう少し先。
タガが外れてやる気が出てきた。
定期的なウェブでの勉強会でお世話になっている、
若きマイスターはずっと先を走られておられる。

※そういうわけで

いつもお買い上げいただいている
お客様に栽培方法の転換をご報告させていただきます。
どうしてもダメだというお客様におかれましては
失望させます事深く陳謝いたします。
なお、使用資材についてはご要望ありましたら
もちろんお伝えしますのでお聞きください。

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